幼少期から「あなたは我慢強いね」「我慢して偉いね」と言われてきた人も多くいるかと思います。特に日本人は、周りに合わせることも多く、あまり自己主張をしないタイプとも言われ、我慢が美徳という認識の人もいます。
また、「自分たちが我慢してやってきたことなのだから、あなたたちも同じようにするべきだ」と考えを押し付けてくる人もいます。
もちろん、我慢も努力も無くては何も成長しません。しかし、我慢をため込んで自分の体調を崩してしまったり、心が疲れ切ってしまう我慢などは、必要のない我慢かもしれません。
「良いガマン」と「悪いガマン」
我慢には、「良いガマン」と「悪いガマン」があります。我慢をせずに成長してきた場合、誰にも守られない環境や厳しい社会にでると自分の力で乗り越えることが難しくなります。学生の勉強でも、仕事をする上でも我慢は必要ですが、それはあくまでも自分の成長につながるものであれば「良いガマン」となり、続けることで経験が自分の力となっていきます。
しかし、いじめ、労働時間が長い、労働環境が悪いなど、人間関係が合わないなど、自分にはデメリットでしかなく、ましてや肉体的にも精神的にも負の連鎖でダメージをこうむるような我慢は「悪いガマン」となります。
「自分で選択する」「自分で決める」意識を持つこと
自分が我慢すれば事が収まる、自分しかやる人がいないんだから自分が我慢すればよい、自分だけ我慢できないなんて恥ずかしい・・・など、つい我慢を選んでしまう人もいます。
真面目であったり、人に頼ることが苦手だったり、弱音を吐くことをせずにため込んでしまう・・・そんな人こそ、自分が壊れてしまう前に今後の道を「自分で選択して行動する」を実行してほしいと思います。
負のループにはまってしまってからでは遅く、自分に「この我慢は私にとって必要か?」と考えてみてください。1人で我慢をし続けると被害者意識に変わっていき、周囲すべてが悪に見えてしまうこともあります。
そうなる前に、周囲に協力を求める、環境を変える、相談するなど自分で選択をして行動しなければ、あなたの我慢に誰も何も気づかないことも多くあります。
苦労する、我慢する、努力する
自分を成長させるために、「苦労する」「我慢する」「努力する」どれも似ているような感覚がありますが、ちょっと違う部分もあるような感じですよね。
苦労は買ってでもしろとよく言われますし、努力は諦めたら終わりだなど、どれも楽なことではなく苦しいものです。
どの言葉をとっても、何かを成し遂げるため、目標達成のためにするものであるように、自分の中で程度を見極めていってほしいと思います。