日常生活の中で勝手に周囲から様々な言葉が投げかけられます。人間誰しも1人では生きていくことができないので、人とのコミュニケーションは多かれ少なかれありますが、言葉のやりとりは人との関係で切り離せないものです。
今は面と向かっての言葉だけでなく、SNSやネット上での書き込みも含めると不特定多数の人から言葉が向けられ、言葉遣いが荒々しいこともあります。
自分が意見を求めていないとしても、勝手に外野から降りかかってくる言葉に反応し、傷ついていることはないでしょうか。
人の人生、私の人生
人の行動、考え、やることなすことに意見を言ってくる人がいます。相手や内容にもよるのですが、聞いたことに対してまずは自分の中で言葉の取捨選択をしているでしょうか。
周囲のアドバイスは不要、参考になる部分もある、真剣にアドバイスをしてくれているのかな、意地悪で言っているのではないか・・・言葉や言い方の端々で感じ取れる部分があります。
相手からの言葉が「勝手な思い込みやアドバイスを無責任に言っているだけの言葉だろう」と思ったならば、真に受けず、流してしまいましょう。
投げられた1つ1つの言葉によって自分に自信を無くしてしまったり、自分の行動が否定されてしまったり、不安を煽るようなものであるならば、「本当に私の人生のことを考えてくれている言葉ではない」と気が付くはずです。
客観的にものごとを捉える心を持つ
一時期、ポテサラ論争がありました。総菜コーナーでポテトサラダを買おうとした幼児連れの女性が、高齢男性から「母親ならポテトサラダくらいつくったらどうだ」と言われるのを目撃した、というつぶやきが投稿されたものです。
見ず知らずの人から母親の理想像を押し付けられ、他人の家庭のご飯にまで口を出すのもやりすぎかと思いますが、ここで「母親はポテサラを手作りするものなのか。自分は作っていない」と自己嫌悪になる必要はないということです。
想像力に欠ける人が増えていると言われています。このお店のポテサラが好物なのかもしれませんし、夕飯の時間に間に合うように急いでいたのかもしれませんし、疲れてしまっていたのかもしれません。
他人には関係ない言葉を投げかけられてしまったことで、心が痛んだかもしれません。
ただ真に受けるのではなく、「この高齢男性は母親にポテサラを作ってもらっていたんだな。私は私。」くらいの客観的にさらっと流せる心を持つことが大事なこと。
感情的になってしまうと、自分も傷つきますし自分の判断も歪んでいってしまう可能性もあります。冷静に対処すること、他人の影響に振り回されずに自分の道を進むことです。
相手の言葉を客観的に捉えることができれば、反省点も含めて自分にとって必要な内容だけを取り入れればよいだけです。
最終的には判断するのは自分自身。自分の信念をしっかり持って、周囲の言葉に惑わされずに心穏やかに進んでいきたいですね。