他人の成功体験を聞くと自信がわいてきたり、励みにもなりますし、失敗体験を聞くと自分の考えを改めたり、行動に注意するようになるきっかけとなります。
話す側は相手にメッセージを伝えようと思って話をするわけですが、中には自分が思っていたこととは異なった受け取り方をされてしまったというトラブルがあります。
聞き手の「感じ方」が人によって大きく違う、ということまでよく考えて体験談を話しているでしょうか。
体験談を話す側と、聞く側の立場
自分の体験談を話した時、聞く側に「アドバイス」として喜ばれるのか、「強制」として同じようにしなさいと押し付けられているのか…受け取られ方はまったくの正反対です。
なぜそのようなことになってしまうのでしょうか。
他人の「体験談」を聞いて勇気づけられた、共感できたと思う人がいる一方で、自分には当てはまらない、同じようにはいかない、自慢に聞こえるなど、受け取り方が様々というのは、話す側と聞く側の立場に違いがあることが原因の1つです。
立場や状況が異なれば参考にならず、得るものもない、ただの他人の昔話となってしまいます。
体験談の価値がなければ無意味な話
成功も失敗も含めて、経験してきた過程が体験談です。その人が経験してきたストーリーですが「トラブルを乗り越えた」という一言に対して、話している人が自ら解決して今に至るのか、周囲が助けてくれたおかげで今に至るのか…大きく異なります。
誰も自らトラブルを起こしません。人に体験談を話す意味として「周囲が助けてくれたおかげで自分が救われた」という体験談では、なんの参考にもならず、聞く側としては得るものがないわけです。それは友達同士の雑談です。
もし周囲によって助けられたのであれば体験談の中で、どうして周囲が自分を助けてくれたのか?普段から親密な関係を築く努力をしていたからなのか?自分が何かしらのアクションを起こしたという前提が必要です。
経験を話す側が強制として受け取られないようにするために気を付けること
聞く側に誤解を生じないようにするためには、話す内容、話し方に注意が必要です。
自分の経験が相手にとって有益かどうかはわかりません。そのため、一方的に話す場合は「あくまでも自分の経験は一例や参考例である」ということを付け加え、謙虚な姿勢が大切です。
また、「自分の体験ではこの選択をしたけれども、ほかの選択肢もある」というように、「自分と同じようにするべき」と捉えられないように、聞く側に選択肢を提供することも1つです。
表現方法でも、熱弁のあまり「あなたもするべきです」と断定するような言い方は威圧感を与えてしまいます。
「私の場合は、こういうことが役に立ちました」のように、押し付けず、やわらかい表現を使うと聞く側も参考として受け入れやすくなります。
体験談は共感を生み出し、新しい視点の気づき、勇気や希望につながります。話し方が変われば、威圧的で自慢話となってしまいます。
人へのアドバイスとして体験談を話すならば、実際に自分が起こした行動から得たストーリーをやわらかい表現で伝えられるといいですね。